色即是空
色即是空
これは仏陀の言葉です。
意味は、この世の中の全ては幻で本当は「無」であり空なんだという意味ですが、なぜそのような事を言ったのでしょうか?
僕は仏教徒でもなく、詳しく学んだ訳ではありません。
しかし、この言葉だけは印象深くてその意味を知った時に、仏教にではなく科学に繋がったのです。
最先端の科学も、2500年前に仏陀が悟ったことも同じ事を示しているのです。
しかし、なぜ仏陀はこの事を示したのでしょうか?
仏陀は物理的なことのみではなく、精神的な心の悩みさえも幻といっているのです。
元々仏陀は、世の中の苦しみや悩みを何とか解決しようと思いお城を飛び出した王子様なのです。
庶民の苦しみを無くしたいという優しい気持ちで修行をしていたのです。
その苦しみが幻だと気づいたときに、大量のドーパミンが流れて悟ったのです。
※これは僕個人の解釈ですので、詳しくはそれぞれで調べて勉強してください。
僕は仏陀や仏教の詳細を説明したいのではなく、なぜ色即是空という言葉が大切なのかという事を話したいと思います。
僕なりの言葉で表すと、悩みや病気は全て気のせいだということです。
「気のせいだから」
という対談本の中で僕はその事を語っています。
悩みや苦しみが幻とか気のせいとか言われても現実に悩んでいるのは悩んでいて、間違いなくあると誰もが思っています。
「そんな綺麗事言われても、現実は現実だよ」
と思う気持ちは分かります。
僕もそう思います。
だから、綺麗事で終わらせようとは思いません。
苦しみや悩みを何とかしたいと思うのは僕も同じです。
何とかしたいのです。
じゃ、どうすればよいか?
ここからは「みつお節」でいきたいと思います。
『何とかしたいと思うならば、何とかしようとしないでください』
何とかしたいと思うならば何とかなるのです。
しかし、僕を含め私たちは、何とかしようと思っているのではなく、何とかしようとしているのです。
さて、通常の頭で考えると、それが普通ですよね。
何とかしたいと思うなら、何とかしようと努力することが大切だと当たり前に思っています。
その気持ちも分かるのですが、もっと根本的な問題があります。
それは、ほとんどの人は何とかしたいと思っていないのです。
何とかしたいと思っているのではなく、どうにもならないと思っているのです。
例えば、支払いに追われて生活していると、毎月の支払いがどうにもならないと思っています。
しかし、支払いはしないといけないのでどうにかしようともがいています。
どうにもならないと思いながら、どうにかしようとしているのです。
僕の提案と真逆の事をしているのです。
僕自身もそのようなことを繰り返しながら何とか生きてきました。
「お金さえあれば全ての問題が解決するのに」
僕は何十年もそう思って生きてきました。
しかし、僕の深層心理ではお金を欲しいと思っているのではなく、
「お金が無いからどうにもならない」
という思い込みでした。
ですから、お金を稼いでどうにかしようとしていたのです。
ほとんどの人は僕と同じように
「どうにもならない」
と思いながら、どうにかしようとアクセクしています。
ここでもう一度言います。
『何とかしたいと思うなら、何とかしようとしないでください』
そして
『お金が欲しいと思うなら、お金を稼ごうとしないでください』
『幸せになりたいと思うなら、幸せになろうとしないでください』
『結婚したいと思うなら、結婚しようとしないでくだしい』
『成功したいと思うなら、成功しようとしないでください』
なぜなら、「気のせい」だからです。
色即是空、この世は幻なのです。
あなたの悩みも不安も問題も、全て気のせいでただの幻なのです。
悩んでいる人はその悩みを大袈裟に考えています。
世界でもこんなに悩んでいる人はいないと思うくらい深刻に悩んでいます。
〜ある男の物語〜
その男は夏の暑い日に草刈りの仕事をしていた。
生活に困っており、その生活費を稼ぐために割に合わない草刈りの仕事を引き受けた。
丸一日草刈りをしても、僅か5000円にしかならない。
通常なら3万円は貰える仕事内容だが足元を見られたのだ。
断ることもできたが、1円でも欲しいその男はその仕事を受け入れた。
無いよりはマシである。
男は、支払いの事を考えながら草刈りをしていた。
せめて10000円でもあれば光熱費が払えるのだが、5000円ではどうにもならない。
でも、メシ代にはなるからと引き受けたのだが、断って営業を続けたらもしかしたらもっと割りのよい仕事を見つけたのではないか、しかし無かった場合は最悪だから、5000円でも受けてよかったかもしれない。
明日の支払いに遅れると電気が止まってしまう。
男の頭は悩みでいっぱいだった。
何でこんな人生なんだろう?
悩みの延長で、不幸な人生までを嘆きながら草刈りをしていた。
すると…
「あっ!」
目の前に蜂の大群が現れた。
間違って草刈機で蜂の巣を切りつけたのである。
怒った蜂の大群が襲ってきた瞬間、男はビックリして逃げ出した。
そんな時に悩んでいるヒマはない。
「なぜ蜂の巣に気がつかなかったのだろう」
と悩んでいるヒマはない。
「ショック、やっちまったよ」
と落ち込んでいるヒマはない。
命の危機が迫ったときに悩んでいるヒマはない。
さっきまでの、世界一惨めな男だと自分を卑下しているヒマもない。
ただ、逃げるしかない。
本物だと思っていた悩みや問題が泡のように消えた瞬間である。
そんな笑い話のようにはいかないと思うかもしれませんが、ほとんどの人の悩みはそんなものです。
ようするに、ヒマなのです。
しかし、実際に病気で入院したりしていると幻や気のせいではなく、あきらかに病気で苦しんでいますよね。
その痛みまで幻と言われても痛いのは痛いです。
僕も苦しんだ事があるので、気持ちは分かります。
痛い時は耐えるしかありません。
痛いのは痛いのです。
しかし、痛いときに悩んでいるヒマはありません。
痛いのですから…
痛いときには、悩むヒマがないのです。
ですから、悩みがあるというのは、ゆとりがある証拠ですので、ゆとりがあることに感謝してみてはいかがでしょうか?
さて、かと言って悩みが解決できるわけではありません。
この世が幻だとしても、悩みは存在するのです。
悩みが気のせいだとしても、その悩みで苦しんでいるのです。
気のせいだというのが問題なのではなく、実際に苦しんでいることが問題なのです。
その現実が本物でも幻でも、事実として苦しんでいることが問題なのです。
それを仏陀は、「空即是色」と言いました。
空即是色とは?
つづく…
0コメント