命どぅ宝(ぬちどぅたから)

命どぅ宝(ぬちどぅたから)
沖縄には昔から、命どう宝(ぬちどぅたから)という言葉がある。

命が何よりも宝物だという意味である。
 
一見、当たり前すぎて地味に聞こえるかもしれない。

しかし、この当たり前が当たり前ではない今の世の中がおかしいのである。

古代琉球は「みるくぬゆー(弥勒の世の中)」であったため、確かに当たり前すぎて誰も「命どぅ宝」などという言葉は使わなかった。

それが前提としての行動や活動を行なっていたのである。

争いで人の命を奪うという概念がないため、戦争という発想すら無かった時代である。

平和で豊かな「みるくぬゆー」では、戦争や争いという概念も言葉も無いので、逆に平和で豊かなという意味も分からなかった。

なぜなら、平和で豊かな世の中だったからである。

それが当たり前になると、感謝が無くなると現代の人は考えるが、それがあっても無くても、状況や環境に関係なく無条件で感謝しかない世の中だったのである。

しかし、世の中は移り変わり「みるくぬゆー(弥勒の世の中)」から「いくさぬゆー(戦の世の中)」になり、現在に至るのである。

これは、何も国と国との戦争だけを表しているのではない。

学校、職場、社会、政界、スポーツ界、芸能界などありとあらゆる現場で闘いがあるという意味でである。

そして、その闘いに勝つ事が素晴らしい事だと本気で思い込んでいる人が多いという現実の話である。

スピリチュアル業界では、弥勒という言葉が喜ばれるが、その人達でさえ、他の人に勝つためのスピリチュアルを生み出そうと必死なのである。

どの世界でも、闘いに勝つことで自分がより素晴らしいポジションに出世できると固く信じているのである。

それを批判したい訳ではない。

その現実を認めて欲しいだけである。

日本は平和だからといって、弥勒の世の中ではないのだ。

日本も世界もまだまだ「いくさぬゆー」なのである。

古代琉球とは2億年前の話である。

それに比べると琉球王朝時代でさえつい最近のことで、「いくさぬゆー」の真っ只中だった時代である。

だから、常に「命どぅ宝」という言葉で命を大切にしようと心がけてきたのである。

今も「いくさぬゆー」なのでこの言葉が有効である。

「ぬちどぅたから(命どぅ宝)」

命があればどんな奇跡でも起こせるのが人間である。

どんなに素晴らしい超人であっても、命が無くなれば無力である。

どんなに才能豊かな芸術家も命あってのものどねなのである。

つまり命は土台である。

その土台の上に、自分の才能を伸ばすのか実力をつけるのかで自分の存在価値ができるのである。

理想やプライドは命の土台の上に成り立つものだ。

しかし、近年は命とプライドを天秤にかける人が多くなっている。

天秤というのは土台の上にあるものであって、土台を天秤にかけるというのは本末転倒である。

お金と命
理想と命

命がなければお金に価値はない。
理想は人を豊かにしない。

命をかける価値のあるものなんて世の中に存在しないのだ。

琉球王朝時代の最後の王もその選択を迫られた一人である。

日本と清国の板挟みに合い、琉球王国の存続に危機が迫っていた。

琉球王朝の家臣達にもプライドがあった。

琉球は守礼の国である。

首里城の守礼門は、礼儀のない人を通さないための門番がついていた。

相手にも自分にも土下座をさせることは礼儀に反するという考え方があった。

そのような上下関係こそが無礼なのである。
常に対等の立場で貿易を行い発展してきたのが琉球王国である。

「たとえ負け戦でも最後まで闘おう」

家臣達は意気揚々と戦の準備をしていた。

しかし…

最後の琉球王は、プライドよりもいかに血を流さないで済むかを考え、日本の提案している廃藩置県に従ったのだった。

もちろん個人的な感情からすると、王さまにもプライドがあり、闘いたかったに違いない。

しかし、彼は個人の前に民を守る義務のある王さまであった。

「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」

涙を流しながら、その言葉を残し上京したのだった。

プライドよりも多くの民の命を守ったのである。

琉球王国は滅んでも、命がある限り琉球の魂は人々の中に生きつづけるのだ。

僕はこんな琉球王がいたことに誇りをもっている。

琉球のプライドはへし折られたかもしれないが、その延長に今、幸せな時代になっているのだ。

今の現状や世の中で満足できない人々も多いかもしれないが、僕は命があるから奇跡を起こすことができた。

僕は奇跡と共に存在している。

僕が今この文章を書いていることが奇跡だ。
この文章を読んでいるあなたが奇跡だ。

その奇跡を体験できるのは、命があるからなのである。

「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」

命があれば奇跡は起こる。

自分の意思で奇跡を起こす方法も知っている。

どんなに辛い事があっても、虫の息で生き抜いて欲しいと思う。

僕は1年間虫の息で生きていた時期がある。

あまりにも辛くて、それでも生きようと決めたので、少しでも辛い事を考えないように、そーっと静かに息をして、そーっと生きていた時期がある。

その後いろんな奇跡が積み重なって現在に至る。

だから確信がある。
 
命さえあればいつか奇跡は起こる!

命は思っている以上に素晴らしい宝物だということに、いつか気づく時がくる。 

それまでは、知らなくてもいいから、虫の息をしてでも生きる価値はある。

だから

「生きる」

と決めよう。

別に大袈裟なと思うかもしれないが、死にたいと思ってなくても、生きると決めてもいない人が大半なのが問題なのである。

理想やプライドは二の次で、まずは何かあってもなくてもとにかく「生きる」と決める事で人生の質が変わってくるのだ。

今の世の中を見ていて、自分が地球の王ならどんなことを民に伝えるのかを考えたときに、このような戯言が浮かんできました。

長文にお付き合いくださり、貴重なお時間をありがとうございました。



琉球スピリット金城光夫/沖縄大阪東京で活躍中/沖縄ユタ琉球タロット

Amazonで3ヶ月連続 1位 『わたしは王』(ヒカルランド出版)の著者 琉球王府に務める家系に生まれました。 沖縄のユタやカミンチュと深い繋がりがあり、「あんたには龍の神様や琉球の精霊に守られているね」「琉球を広めなさい」と言われ育ってきました。30年前に明確に覚醒し 2018年の10月に『わたしは王』を出版後 セミナーや講演会、個人セッションを行い、 現在は沖縄、大阪、東京で活動中。

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