心は極楽浄土なり
極楽浄土とはどこかあるのではありません。
「心」自体が極楽浄土なのです。
修行をして、精神を鍛えて悟りを得た時に心は穏やかになると思われています。
しかし、心は元々穏やかです。
悟りを得ていなくても、心は穏やかなのです。
これが琉球スピリットです。
修行をして穏やかな心に至るのではなく、元々は穏やかな心が存在するという所からのスタートになります。
古代琉球は、平和で豊かな弥勒の世の中でした。
それがときの流れで戦の世の中になってしまいました。
しかし、元々は弥勒の世の中でしたので、また元の弥勒の世の中に戻そうというのが琉球スピリットです。
しかし、世の中を見渡してみると、新しい弥勒の世を創ろうとしている人々がいます。
新しい弥勒の世を創ろうとする行為は、そうではない世界へとシフトしてしまいます。
琉球スピリットとは、そうなろうとするのではなく、元々はそうだったのだから、いつかは戻るよという考えであり、戻ること意識するのではなく、どうせいつかは戻るのだから、今を楽しもうというスピリットなのです。
心は常に幸せです。
でも人は心から離れて暮らしているために、平和で豊かな心地を味わう事ができません。
しかし、心に戻るといつでも平和で豊かな幸せな状態になるのです。
それが分かっていれば、修行をして心を豊かにしようとする事はしません。
どうせいつでも幸せな心に戻れるのだから、わざわざ戻るための努力をするのではなく、今しか味わえない事を楽しもうというのが、琉球スピリットです。
極楽浄土を目指して修行し、今を苦しむのではなく、今を楽しむ心こそ極楽浄土なのです。
YouTube「心は極楽浄土なり」
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